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ワールド大阪ロータリーEクラブ
会長 定成 みず希(ソフトウェア/インターネット)
「ITとAIの時代に、ロータリーが大切にできること」
ロータリアンの皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
前回は、「会員同士を知ることから始めたい」というお話をさせていただきました。
ロータリーの奉仕は、まず人を知ること、人の思いに関心を持つことから始まるのではないか。
そして、会員一人ひとりの職業や経験を知ることが、クラブ全体の力を知ることにもつながるのではないか。
そのようなことをお話ししました。
今日は、その流れの続き?というか、私自身の職業に少し引き寄せながら、ITやAIの時代に、ロータリーが大切にできることについて考えてみたいと思います。
私は、ソフトウェアやインターネットに関わる仕事をしています。日々、ウェブサイトやシステム、情報発信の仕組み、最近では特にAIを活用した業務の改善などに触れています。
ITの世界は、変化がとても速い世界です。特に最近の1,2年はついていくのがやっとと思うほどの急速な進化・変化を感じ、少し前まで新しいと思っていた技術があっという間に当たり前になっていきます。
AIについては、この数年で多くの方が身近に感じるようになったと思います。
文章を作る。
画像を作る。
調べものを手伝う。
資料をまとめる。
アイデアを出す。
翻訳をする。
プログラムを書く。
以前であれば専門的な知識や時間が必要だったことを、AIがかなり手助けしてくれるようになりました。
私自身も、仕事の中でAIの可能性を強く感じています。
ただ同時に、AIはとても便利であるからこそ、使い方を間違えると危ういものでもあるとも非常に強く感じています。
今日は、AIやITについて、単に「便利ですね」という話ではなく、良い使い方、悪い使い方、そして過信してしまう危険について、ロータリーの視点から考えてみたいと思います。
まず、そもそもAIの良い使い方とは何でしょうか?
私は、AIは人の代わりになるものというより、人の考える時間を支え、補足してくれるものだと思っています。
たとえば、何か文章を書くときに、いくつかのアイデアを与え最初のたたき台を作ってもらう。
様々な情報を収集・整理してもらう。
自分の考えを別の表現で言い換えてもらう。
不足している視点や矛盾などを指摘してもらう。
こうした使い方は、とても有効です。
ゼロから考え始めると時間がかかることでも、AIが最初の材料を出してくれることで、人間はそこから判断したり、修正したり、深めたりすることができます。
たとえばロータリーの活動でも、例会の案内文を整える、奉仕活動の報告を要約し読みやすくする、会員向けの資料をわかりやすく要約する、広報文の表現を工夫する、といった場面でAIは役立つと思います。

Eクラブである私たちにとって、情報発信やオンラインでのコミュニケーションはとても大切です。
ちなみに当クラブでは例会開催日に会員に向け例会の卓話の要約が入ったものがメールで送付されます。
また経費や会費などの収入を登録させ、分析し次年度の予算計画のたたき台を作らせるなどで活用しています。
ITやAIをうまく使えば、会員の負担を少し減らしながら、必要な情報をより早く、よりわかりやすく届けることができると思います。
また、AIは「考えるきっかけ」を増やしてくれる道具にもなります。
いくつかの作業を同時に走らせ、人間にしかできないことをこなすなどうまく使えば作業時間を圧縮することができます。
あるテーマについて、賛成の立場、反対の立場、中立の立場から整理することもでき、自分の考えを見直すきっかけになることも。
ロータリーでは、本当に実に多様な職業、多様な経験、多様な価値観を持った方々が集まっています。
AIが出した答えをそのまま信じるのではなく、それを材料にして、会員同士で話し合い、考えを深める、そういう使い方であれば、AIはクラブの学びを広げる道具になると思います。
それこそ「みんなに公平か」「みんなのためになるかどうか」をAIの視点から整理してもらうだけでも随分と客観的な発想を見つけることができる?かもしれません。

一方で、悪い使い方もあります。
一つは、考えることをAIに丸投げしてしまう使い方です。
AIが書いた文章を、そのまま自分の意見として出してしまう。
AIが出した答えを確認せずに使ってしまう。
本当は自分で向き合うべき問いを、AIに処理させて終わりにしてしまう。
これは便利なようでいて、実はとても危ういことです。
なぜなら、AIは言葉をきれいに整えることが得意です。
もっともらしい文章を書くことも得意です。
しかし、その文章に本当に責任を持てるのは、AIではなく、それを使った人間です。
AIが作った文章が間違っていた場合。
誰かを傷つける表現が含まれていた場合。
事実ではないことを、事実のように書いていた場合。
その責任は、最終的には使った人にあります。
私自身の経験から言わせてもらうならAIは基本的に「お世辞好き」「おべっか使い」というイメージです。
人間的には好まれやすく親しみやすい性格かとは思いますが、果たしてそんな友人は友人と呼べるのでしょうか?
古い考えかもしれませんが本音で付き合うことで、本当の意味での「好意と友情を深めるか」の問いに答えれるのではと思っています。
例えばAIは結構、間違ったことを自信ありげに言います。
これがとてもやっかいで、自身も思いっきりAIの言葉を信じたこともあります・・・。
さも本当のことのように世辞を並べ、肯定して、自身の考えが間違いないと思い込ませる。
たとえば極端な例ですが、AIに「道路にポイ捨てしたんだけど、僕は悪い子?」と聞いたとします。
するとAIは、「近くにゴミ箱がなかったことも一因かもしれないので一概には言えません」「ポイ捨てはよくない行動ですが、それだけで悪い人と決めつける必要はありません」といった、どこか言い逃れのようにも聞こえる、実生活ではいわゆる「屁理屈」のような答えを出すことがあったそうです。
だからこそ、AIの答えを見たときに、「本当にそうだろうか?」「お世辞ではないだろうか?」と立ち止まる姿勢が必要で、特に、法律、医療、財務、個人情報、社会的に配慮が必要な内容については、AIの答えをそのまま信じることは非常に危うい考えだと思っています。
必ず「真実かどうか」確認し、必要であれば専門家に聞き、出典や根拠を確かめる必要があります。
もう一つの悪い使い方は、人との関係を粗末にしてしまう使い方です。
たとえば、本来なら自分の言葉で伝えるべき感謝や謝罪を、AIに任せきってしまうことや友人同士のやりとりやその他方との関係まで、効率だけで考えてしまいAIが作った定型文だけで済ませる。
これも、ロータリーの精神とは違うのではないかと思います。
もちろん、文章を整えるためにAIを使うこと自体は悪いことではないと思います(特に誤植のチェックなど)。また伝えたいことをわかりやすくするためにAIを使うのは良いことです。
しかし、そこに自分の思いが入っていなければ、言葉はどんなに綺麗に整頓されていても、熱量・温度を感じれません。
人に届く言葉には、その人自身の経験や責任や感情が必要でAIは表現を助けてくれますが、思いそのものを代わりに持ってくれるわけではないと本当に感じる毎日です。
そして、AIを過信する危険についても考えておきたいと思います。
AIを使っていると、何でも答えてくれるように感じることがあります。
とても便利ですし、実際に役立つ場面も多いです。
しかし、AIは万能ではありません。
AIは現実を直接見ているわけではありません。
地域の空気を感じているわけでもありません。
相手の表情や沈黙の意味を、本当に理解しているわけでもありません。
ロータリーの活動には、数字や情報だけでは判断できないことがたくさんあります。
誰が今、無理をしているのか。
どの活動が会員にとって負担になっているのか。
地域の方が本当に求めているものは何なのか。
表には出てこない不安や遠慮がどこにあるのか。
こうしたことは、AIだけではわかりません。
人が人を見ること。
人が人の話を聴くこと。
現場に触れること。
関係性の中で感じ取ること。
そこは、どれだけ技術が進んでも、人間が大切にしなければならない部分だと思います。
ロータリーの「四つのテスト」に照らして考えると、AIとの向き合い方も見えてくるように思います。
真実かどうか。
みんなに公平か。
好意と友情を深めるか。
みんなのためになるかどうか。
AIが出した答えについても、この問いを当てはめることができます。
その情報は真実か。
一部の人に不公平な内容になっていないか。
その使い方は、人との信頼関係を深めるものか。
本当にみんなのためになる使い方か。
このように考えると、AIは単なる新しい技術ではなく、私たち自身の姿勢を映す鏡でもあるのかもしれません。
良い目的を持って、丁寧に使えば、人を助ける道具になりますが一方で、楽をすることだけを目的にしたり、責任を曖昧にしたり、人への配慮を忘れたりすると、かえって信頼を損なう道具にもなります。
これは、私のいる業界、IT全般にも言えることです。
ITは、人と人をつなぐことができます。
遠く離れた人とも連絡が取れます。
情報を共有できます。
オンラインで例会に参加できます。
時間や距離の制約を越えることができます。
私たちEクラブは、まさにその恩恵を受けているクラブです。
オンラインであるからこそ、参加し続けられる方がいます。
仕事や家庭の都合があっても、ロータリーとのつながりを保つことができます。
これは、ITがEクラブに与えてくれた大きな可能性です。
けれども、ITは人間関係を自動的に深めてくれるわけではありません。
オンラインの仕組みがあっても、そこに関心や思いやりがなければ、ただ情報が流れるだけになります。
便利なツールがあっても、相手を知ろうとする姿勢がなければ、本当のつながりにはなりません。

ちなみに当クラブでは月一回顔合わせ例会を行い実際に生身の接触も行っています。
だからこそ、私たちは技術を使いながらも、技術に使われないようにするべきです。
AIを使う。
ITを使う。
効率化する。
情報を整える。
自身の時間を作るにはとっても有益です。
しかし、その目的は、単に楽をするためではなく、人と人とのつながりを支えるためであり、奉仕の活動を続けやすくするためであり、会員一人ひとりが無理なく関われるクラブにしていきたいですね。
私は、自分の職業を通じて、このクラブに少しでも役立てることができればと思っています。
ウェブやシステム、AIや情報発信の力を使って、例会やクラブ運営が少しでもわかりやすく、参加しやすく、続けやすくかつ次年度につながるように。
そして、メンバーがロータリーとの関わりを負担ではなく、学びやつながりとして感じられるように。
そのために、技術を目的にするのではなく、技術を奉仕のための道具として使っていきたいと思います。
AIの時代だからこそ、人間らしさがより大切になる。
情報があふれる時代だからこそ、真実を確かめる姿勢が大切になる。
効率化が進む時代だからこそ、相手を思いやる時間が大切になる。
近年「これからは時間が価値を持つ時代だ」とよく耳にします。
先人たちの言葉を借りれば、哲学者テオフラストスも「時は人間が消費しうる最も価値のあるものなり」と語っています。
それこそベンジャミン・フランクリンも有名な名言?「時は金なり(Time is money)」
などなど
私はそのように感じています。
本年度のRI会長メッセージである「持続可能なインパクトを生み出そう」という言葉を考えるとき、ITやAIもまた、持続可能なインパクトを支える道具になり得ると思います。
ただし、それは正しく使われたときです。
人を置き去りにせず、事実を軽んじず、責任を曖昧にせず、信頼を深める方向に使われたときです。
ロータリーがこれからも大切にしていかなければならない、奉仕の精神、職業奉仕、四つのテスト、人と人との友情と信頼。
これらは、AIの時代になっても古くなるものではありません。むしろ、技術が進むほど、より必要に、より重視するようになるのだと思います。
今日は、私の職業に関わる話として、ITとAIの良い使い方、悪い使い方、そして過信の危うさについてお話ししました。
便利なものを必要以上に拒絶する必要はないと思いますが、便利だからといって任せきりにしてもいけないとも確信しています。
人が考え、人が確かめ、人が責任を持ち、人のために使う・・・その姿勢を大切にしながら、ITやAIをロータリーの活動にも活かしていければと思います。
私自身も、会長として、また一人の職業人として、自分の専門性をクラブにどう活かせるかを考え続けてまいります。
本日もありがとうございました。

ワールド大阪ロータリーEクラブ
SAA永井 純(服飾企画・製造・販売)
SAAより、ワールド大阪ロータリーEクラブ第719回例会の出席報告をさせて頂きます。■会員総数:23名
■今週の出席:23名
■今週の出席率:100%
以上です。
幹事報告

ワールド大阪ロータリーEクラブ
幹事角谷 智志(生命保険代理店業)
・各位メッセージボードをご確認ください。

ワールド大阪ロータリーEクラブ
梶本 寛子(有料老人ホーム)
奉仕を続けるための、自分への投資――人生100年時代の身だしなみ
皆様、こんにちは。
本日は、「奉仕を続けるための、自分への投資――人生100年時代の身だしなみ」というテーマで、お話しさせていただきます。
昔は、美容医療というと、若い女性や芸能人がするものというイメージがありました。
見た目を大きく変えたり、若さを追い求めたりするためのものだと感じていた方も多いのではないでしょうか。
しかし、私自身も50代になり、まぶたが下がったり、目が小さく見えたり、顔のたるみが気になったりと、年齢による変化を感じるようになりました。
疲れていないのに、鏡を見ると疲れているように見える。

気持ちは以前と変わっていないのに、外見だけが少しずつ変わっていく。
そのような経験をする中で、美容医療や身だしなみを整えることは、単に「若返るため」のものではなく、「自分らしく年齢を重ねていくため」の一つの選択肢なのではないかと思うようになりました。
ただ、今日、私がお話ししたいのは、「皆様、美容整形をしましょう」ということではありません。
私がお伝えしたいのは、「自分を大切にする気持ち」についてです。
最近、50代、60代、そしてそれ以上の年代の方と接していると、「今の50代、60代の方は本当にお元気だな」と感じます。
仕事を続けている方もいれば、趣味や旅行を楽しんでいる方、地域活動や奉仕活動に力を注いでいる方もいらっしゃいます。
若い方には、若い方ならではの魅力があります。
一方で、人生経験を積んだ大人には、落ち着きや余裕、会話の面白さ、そして人としての深みがあります。
その魅力は、若さだけでは決して生み出せないものです。
だからこそ、その人がもともと持っている魅力をさらに引き立てるために、自分自身に少し手をかけることも、素敵なことではないでしょうか。
例えば、シミが気になればお手入れをしてみる。
肌を整える。
髪型を変えてみる。
スキンケアを始めてみる。
薄毛が気になれば、一度専門家に相談してみる。
自分に似合う服や眼鏡を探してみる。
こうしたことは、決して若さを競うためのものではありません。

「まだ若く見られたい」ということだけでもありません。
鏡を見たときに、自分自身が少し気持ちよく過ごせるようにする。
人に会うときに、自信を持って笑顔でいられるようにする。
そのための小さな工夫です。
私たちは、健康のために病院へ行ったり、健康診断を受けたり、運動をしたりします。
歯が悪くなれば歯医者へ行き、身体が凝ればマッサージや治療を受けます。
それと同じように、髪や肌、服装などの身だしなみに手をかけることも、自分自身を整えるための一つの方法だと思います。
特に男性は、美容やスキンケアについて、
「自分には関係がない」
「男がそんなことをする必要はない」
「もうこの年齢だから、今さら何をしても変わらない」
と思ってしまう方も少なくありません。
しかし、私は男性にも、もっと自分磨きを楽しんでいただきたいと思っています。
肌のお手入れをすることや、髪型を整えること、ひげをきれいにすることは、決して女性だけのものではありません。
清潔感を整えることは、一緒に過ごす相手への心遣いでもあります。
薄毛も、女性の更年期や肌の変化と同じように、年齢による自然な変化の一つです。
恥ずかしいことではありません。
治療を選ぶこともできますし、無理に隠さず、自分に似合う髪型や服装を楽しむこともできます。
大切なのは、周囲からどのように見られるかだけではなく、自分自身が納得し、自信を持って過ごせることだと思います。
私は老人ホームで仕事をしています。
高齢者の方と接していると、ときどき、
「もう年だから」
「今さら髪を整えても仕方がない」
「こんな服を着ても、誰も見ていない」
と話される方がいらっしゃいます。
しかし、髪を整えたり、少し明るい色の服に着替えたりすると、表情が変わることがあります。
ご家族が面会に来られる日は、普段よりも服装を気にされたり、「今日は髪を整えてほしい」とおっしゃったりする方もいます。
男性の方でも、散髪をしたり、ひげをきれいにそったりすると、鏡を見ながら少し誇らしそうな表情をされます。
そのような姿を見ていると、人は何歳になっても、
「きれいでいたい」
「かっこよくいたい」
「大切な人に、良い姿で会いたい」
という気持ちを持っているのだと感じます。
身だしなみを整えることは、単に外見を飾ることではありません。
自分自身を大切にすることであり、自分の尊厳を守ることでもあります。

そして、自分を大切にする気持ちは、
「誰かに会いたい」
「外へ出たい」
「もう一度、何かをしてみたい」
という意欲にもつながります。
ロータリアンの皆様は、長年にわたり仕事や家庭を支え、現在も地域や社会のために奉仕を続けておられます。
人のため、地域のために時間や力を使うことは、本当に素晴らしいことです。
しかし、人のために活動し続けるためには、まず自分自身が健康で、前向きで、人と会いたいと思える状態でいることも大切です。
自分を大切にすることは、奉仕の反対ではありません。
自分を整えることは、これからも長く奉仕を続けていくための土台になるのではないでしょうか。
だからこそ、人のためだけではなく、自分自身にも少し時間や気持ちを向けていただきたいと思います。
定期的に身体を動かす。
髪を整える。
肌のお手入れをする。
歯をメンテナンスする。
自分に似合う服を着る。
ゆっくり休む。
好きな人と食事をする。
こうしたことは、すべて人生100年時代を豊かに過ごすための、自分への投資です。
最近は、「イケおじ」という言葉もよく聞かれるようになりました。
私は、「イケおじ」とは、単に若く見える男性のことではないと思っています。
清潔感があり、自分に似合うものを知っている。
周囲の人への気遣いがあり、年齢を言い訳にせず、新しいことにも関心を持っている。
そして、自分自身の人生を楽しんでいる。
そのような方が、本当の意味での「素敵な大人」なのではないでしょうか。
若さを競う必要はありません。
無理に年齢を隠す必要もありません。
年齢を重ねたからこそ身についた経験や優しさ、落ち着きがあります。
その魅力を、身だしなみを整えることで、さらに自然に表現することができると思います。
人生100年時代といわれています。
50代、60代は、決して人生の終盤ではありません。
これまで頑張ってきた経験を生かしながら、これからの人生を楽しんでいく大切な時期です。
「もうこの年だから」と諦めるのではなく、
「この年齢だからこそ、何を楽しもうか」
と考える。
そのような大人が増えれば、人生はもっと楽しく、社会ももっと明るくなるのではないでしょうか。
そして、もちろん、これは皆様だけにお勧めしていることではありません。
私自身も、まだまだ自分磨きの途中です。
外見だけでなく、健康や心の持ち方、人への接し方も含めて、自分自身を整えていきたいと思っています。
皆様と一緒に、年齢を重ねることを楽しみながら、心も身体も、そして身だしなみも大切にし、これからも元気に奉仕を続けていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。







