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ワールド大阪ロータリーEクラブ
会長 辻江 正清(不動産管理業)
ロータリアンの皆様いかがお過ごしでしょうか?
先日の雨で、桜も散り始め段々と春の陽気になってまいりました。
今週の顔合わせ例会において沢山の報告及び決定事項がありました。
1. 5月17,18日に開催さあれる靭公園バラ祭で、ワールド大阪ロータリーEクラブで出店ブースで
クッキーやTシャツの販売をすることになりました。
2. 東北地方に関東からボランティアとして活動されている学生に対して応援金を支給することになりました。
3. 藤原会員がカンボジアで進めている学校建設への支援をすることを決定しました。
また、我がロータリークラブが応援している関西学生少林寺拳法連盟の学生3名が20日にベイコム総合体育館
で行われる西日本学生大会の説明と活動報告に来ていただけました。
5月17,18日に時間が御座いましたら靭公園の美しいバラの花を見に来て頂いたついでにブースに足を
止めていただければ幸いです。
さて今回は、ユネスコ世界遺産に登録された百舌鳥古市古墳群に関してお話していきたいと思います。
百舌鳥古市古墳群(もずふるいちこふんぐん)は、大阪府堺市にある古墳群で、2019年にユネスコ世界遺産に登録されました。この古墳群は、主に古墳時代(3世紀末から7世紀初頭)に築かれた古墳の集まりで、特に日本の古墳文化を代表する重要な遺跡とされています。
主な特徴
- 規模の大きさ: 百舌鳥古市古墳群は、古墳の規模や数、そしてその遺跡の保存状態が優れており、約49基の古墳が残されています。特に、墳丘の大きさや装飾などが特徴的です。
- 大きな古墳: 代表的な古墳には、世界最大級の前方後円墳である「大仙陵古墳」(または仁徳天皇陵)があります。大仙陵古墳は、天皇陵としても有名で、全長約500メートルの巨大な規模を誇ります。
- 前方後円墳: 百舌鳥古市古墳群の中には、前方後円墳(前方が四角、後円が円形の形状を持つ古墳)が多数あります。この形状は、古墳時代の初期から中期にかけて特徴的であり、王や高貴な人物の墓として使われました。
歴史的意義
百舌鳥古市古墳群は、古墳時代の政治や社会構造を知る上で重要な証拠を提供しており、特に日本列島の古代国家の形成過程を理解するための貴重な資料とされています。また、この地域は古墳時代における支配者層の墓として機能し、その規模や形状から当時の支配者の権力を示しています。
世界遺産登録の背景
ユネスコ世界遺産に登録された際の決定的な要因は、百舌鳥古市古墳群が古墳時代の文化遺産として、特に「墳墓」としての歴史的価値が高いことでした。登録は、これらの遺跡が持つ歴史的、文化的、考古学的価値を世界的に認識する意味合いがあります。
観光地として
現在、百舌鳥古市古墳群は観光地としても注目されており、多くの観光客が訪れます。大仙陵古墳や他の主要な古墳は見学が可能で、古代の日本の文化や歴史に触れることができます。
このように、百舌鳥古市古墳群は日本の古代史を語る上で欠かせない場所であり、世界遺産に登録されたことにより、さらに注目されています。


ワールド大阪ロータリーEクラブ
SAA
角谷 智志(保険業)
SAAより、ワールド大阪ロータリーEクラブ第654回例会の出席報告をさせて頂きます。■会員総数:26名
■今週の出席:26名
■今週の出席率:100%
以上です。
幹事報告
ワールド大阪ロータリーEクラブ
幹事
小田 健二(求人広告業)
・各位メッセージボードをご確認ください。


ワールド大阪ロータリーEクラブ
川崎 雄二(福祉事業)
皆さんこんにちは!
このクラブに参加させていただき4ヶ月になります。
今回卓話を依頼され、何を描けばいいのかわからず困惑していました。
最近、ある記事を見ていて「へえ~?」「そうだんたんや!」と気にも留めなかったことがあったので今回この卓話で紹介したいと思います。
皆さんは富士山についてどのくらい知っていますか?富士山にまつわる話はとても多く、富士山の標高や、測定した人、富士山の歴史など、掘り出せばそうだったのか?などもっと楽しくなりそうな情報がまだまだ眠っているようですがその一つがこれです。
富士山は徳川家康のものだった?
富士山は誰のもの?と聞かれたら、日本人のほとんどが「みんなのもの」と答えるでしょう。
まさしく「日本の宝」ともういうべき富士山は、年間30万人以上の登山客が訪れる観光スポットです。
すべての日本人のものと答えたくなるのはよくわかりますが、実はこれは間違いです。
実は、富士山の八合九勺(3360m)から上は「私有地」です。
歴史のある霊山を私物化するなんて、いったいどんな人が?と思うかもしれませんが、安心してください。
頂上に鎮座している「浅間神社」が持ち主なのです。
浅間神社の総本宮は「富士山本宮浅間大社」
写真はwikipediaより
浅間神社は、全国に1300以上あり、中でも富士宮市宮町に位置する富士山本宮浅間大社は総本宮です。祭神に木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)を祀ります。
本社神殿は武田信玄公の厚い信仰を受けて、桃山時代の高荘な建造物として国の重要文化財に指定されています。
また毎年、7月1日は450年以上続いている「お導開き(おみちびらき)」をして、富士山の山開きも行っています。
このように、浅間神社と富士山の結びつきはとても古いのです。
そもそもの持ち主はあの徳川家康で、1606年に家康から大社に寄進されたと伝えられています。
ところが、明治維新後の1871年に国有地化。
太平洋戦争後、全国で国有地された土地が寺社へと返還されましたが、富士山頂だけは一部を除いて返還されなかったのです。
1974年の最高裁判所の判決によって、あらためて浅間神社のものと認められましたが、それでもなかなか返還がされなかったのです。
静岡、山梨両県の県境が画定されていないため登記できなかったからです。
それからさらに30年の時が流れ、2004年、財務省東海財務局が県境問題よりも優先することで調整し、ようやく無償譲与しました。
こうして134年ぶりに、富士山の山頂部はもとの持ち主に戻ったというわけです。
富士山の頂上というのは、正しくは神様の家。
そう思うと、富士山登山もまたひと味違った趣になりますね。
富士登山は関所でお金を払う必要があった
【体力】と、頂上を目指す!という【意志】さえあれば、富士登山者であれば誰にでも登ることができる富士山。富士山には登るために吉田ルートや須走ルートなど、様々な登山ルートが存在しますが、
最近、環境保全のために「入山料」を徴収するべきという議論があがっていますが、実は明治時代まで富士山登山は「有料」だったのです。
富士山の有料化の歴史は思いのほか古く、奈良時代の山岳修行者・呪術者であり、修験道の始祖・役小角(えんのおづぬ)が始めた修行としての富士登山(富士講)が盛んになったと言われています。
そして、室町時代の後半からすでに、登山は有料だったという記録があります。
では、いくらぐらいか?というと、登山者・1人につき244文の山役銭=通行料を徴収していたといいます。
関所の場所は、吉田口登山道にあった
写真は一般社団法人富士五湖観光連盟HPより
関所があったのは、富士山北口浅間神社を起点とする吉田口登山道です。
この道が当時のメインの登山道で、神社の周辺に登山者の宿泊所と教導所を兼ねた宿坊が多く建っていました。
関所を置いて通行料を徴収していたのは、このあたり一帯に勢力を誇っていた今川氏といわれています。
ちなみに現在も、関所の目印だった金鳥居が健在です。
この徴収業務は、教導所の御師(おし)がおこなっていて、白装束に金剛杖を持った登山者が、登山口で通行料を払い、手形を受け取るというものだったそうです。
しかし、なかには通行料を払わずに登ろうとする人もいたので、山の中腹と頂上にも関所を置いて、手形の無い人をチェックしていたといいます。
徴収した通行料の半分は領主への上納とし、残った中から御師が一部を貰い、登山道を整備している近隣の農民に配られたそうです。
このあたりの農民にとっては良いアルバイトだったようで、近隣の村同士でこの権利を奪いあって争いになったという話も記録に残っています。
今川氏の後、武田氏の支配になった時代、122文と半額にディスカウントされたこともありましたが、基本的にはこのような通行料が、江戸を経て明治の頃まで続いたといいます。
今度富士山を登山するには料金が必要となるそうですが、環境保全のためにもこれはとてもいいことだと思います。
ちなみに私はまだこの富士山へ登頂したことはございませんがこういうことを知ると登山をする時にはいろんなことを考えて行くと思います。

